
お茶の起源はさかのぼると、神農伝説にいきつきます。
中国の歴史は三皇五帝から始まります。『史記』で有名な司馬遷は五帝の黄帝から歴史を説きおこしました。紀元前二世紀に生きた司馬遷にとっても三皇の存在は歴史ではなかったのです。歴史でないなら、なんなのでしょうか?神話です。その三皇のなかの一皇が神農です。神農は神さまの中でも人間にやさしい神さまでした。鋤や鍬をつくり、その用法を教えた農業の神様であり、百草を嘗めて医薬をみつけた医学の神様であり、八卦をかさねて六十四卦をつくった占いの神様であり、そのうえ音楽の神様であり商業の神様でもありました。
4000年以上前に神農の時代はありました。人間の知識は不十分で生産能力は低く、農業や医学を語れるような世の中ではありませんでした。中国ではそんな悠久の昔から神農と茶にまつわる話が伝わっています。それぞれの地域で話は多少異なりますが、主なものを3つ紹介いたします。
伝説の神さま神農は水晶のように透明な腹部をもっていました。当時人間の生活は原始的なもので、魚や肉野菜はそのまま生で食べられていました。そのことから食中毒になるというのは日常的なことだったのです。神農は人々のために透明な腹部をいかし、さまざまなものを試食して、それが胃腸の中でどのように変化するかを観察しました。そんなある日、白い花が咲く常緑樹の下でその木の葉を試したところ、胃に不思議な変化が起こっていることに気づいたのです。葉は胃腸の中にはいると、胃の中にのこっていた食物をきれいに洗浄しただけでなく、食後口の中に甘くさわやかな感覚をのこしたのです。この葉の解毒作用は神農をたいへん喜ばせました。以後、毒にあたるたびに、この葉をもって解毒するようになりました。後世、この葉は、まるで医者のように胃の中を調べ清めてくれることから「調べる(中国語では査(cha)」という音をとって書き改め「茶(cha)」と言われるようになりました。
神農は薬草を採集するため、みずから草木をかじり味わってその効能を検証していました。ある日、ある草の葉をかんだせいか舌がしびれて目まいがします。神農は薬草袋をおいて、大きな木にもたれて休むことにしました。吹いた風がさわやかな香りを運んできてくれます。この香はいったいどこから来たのだろう?見上げると、大きな木の上からつやつやとした緑色の葉が落ちてきたのでした。好奇心からその葉を拾ってかじると、最初は苦いけれどなんとも言えぬさわやかな甘味が残ります。食後、目まいや舌のしびれがおさまり、爽快な気分になっていました。神農はこの木を“茶”となずけ、人々に与えました。そして茶は時代の流れとともに時に薬になったり、祭事に供えられたり、食品や飲料となり、現在も人々に愛されています。
神農は人の病気を治すため、自ら山にわけいり薬草を探し求めました。それらの薬草は煎じてみずから服用してその効能を試しました。日に摘む薬草は大きな袋いっぱいになります。それらを自分の知識によって効能別にいくつかの山に分け、鉄鍋に渓流の水を入れ煎じて試すのです。ある日、神農は大きな木の下で鉄鍋を火にかけていました。ふたを開けて薬草を入れようと背を向けた間に鍋の中に何枚かの葉が鍋の中に落ちたのに気づかなかった神農は、鍋からするさわやかな香を不思議に思い近寄ってよく見ると、数枚の葉が黄緑色に染まった水面に浮いたり沈んだりしています。お湯をすくって飲むと、味は苦いけれどさわやかな香が鼻につき、飲み終えたあと口の中に甘さが残りました。疲れもとれすっきりした気分にもなりました。鍋から葉をひろいあげてよく見てみると、その葉は鍋のまわりに生えている木々とはまったく違った形をしています。「これはきっと天が何年も病気を治すための薬草をさがして苦労している私のためにくださったものに違いない」神農はこの時からその葉の効能を調べるかたわらいくつもの山にわけいって、その木を探しまわりました。葉には渇きをいやし気持ちをひきたてたり利尿解毒などの作用があることがわかりました。そうしてとうとう、それほど遠くない山中に野生の大樹を発見したのです。はたして鍋の中にいれると、水色は黄緑色になり味もまったく同じ、神農はたいへん喜んで、その木を「茶」と名づけました。