龍井茶人縁
陸羽 (733-804)茶聖。
765年にお茶の世界では聖典ともいうべき世界初のお茶の専門書『茶経』を完成させました。その書の中で地元湖州の顧渚紫筍茶を絶賛、このことから顧渚紫筍が貢茶となり湖州顧渚山に貢茶院が建てられたことは有名な話ですが、陸羽は霊隠寺の道標という高僧とも親交があり杭州を訪れると道標の所に逗留したといいます。そしてそこで『武林山記』と『天竺霊隠寺二記』を著しました。またその影響かどうかはわかりませんが、龍井茶の前身であるそれら縁のお茶が唐代の貢茶として記録に残っています。
白居易
(白楽天)
(772-846)中国を代表する大詩人であり大政治家。
「茶釜と酒の杓子を手離さない」と形容されるほどお茶を愛しました。
杭州刺史の任期中、灌漑事業として西湖の堤(白堤と呼ばれ名所となっています)を築くという素晴らしい功績を残すいっぽう、西湖のお茶に夢中になり霊隠寺の禅師とお茶をくみかわしたと伝えられています。詩によってお茶の文化的地位を高める役目をした功労者と言っても過言ではありません。
蘇軾
(蘇東坡)
(1037-1101)中国を代表する大詩人であり書道家であり政治家。
白居易と同様、刺史の任期中、灌漑事業として西湖の堤(蘇堤と呼ばれ名所となっています)を築くという素晴らしい功績を残すいっぽう、文化人として中国茶文化の発展に多方面で貢献しました。杭州を第二の故郷とし、お茶を題材とした詩も多く残しています(『虎跑泉』など)。
陸游 (1125-1210)南宋時代の憂国詩人。
歴代詩人の中で最も多く茶事に関する詩を残したことで知られています。お茶に関する詩の多くは故郷江南のお茶に対する思いが見受けられます。
呉自牧 宋代の文人。
1270年前後に当時の文化を表した20巻に及ぶ『夢梁録』では、第16巻の「茶肆」で龍井茶の地元都杭州での茶館の繁栄ぶりと茶文化についてふれています。
虞集 (1272-1348)元代の大文学家。
最も早く詩歌に龍井茶という言葉を織り込んだ人としても知られています。もちろん杭州で産するお茶のことはそれこそ唐代陸羽の『茶経』から記事が載っていますが、龍井茶という単語はまだ使われていませんでした。 虞集は『游龍井』という詩の中で龍井茶とその風景を描いています。
「徘徊龍井上,雲氣起晴晝。入門避沾灑,脱屐亂苔。陽崗扣雲石,陰房絶遺構。澄公愛客至,取水挹幽竇。坐我澀中,餘香不聞嗅。但見瓢中清,翠影落群岫。烹煎黃金芽,不取谷雨後。同來二三子,三咽不忍嗽」
童漢臣 明代の役人。杭州銭塘出身。
当時横行していた倭寇を退けた名臣として有名。お茶に関する記載を残しています。
田藝蘅 明代の文人。杭州銭塘出身。
父親の田汝成にも『西湖遊覧』二十四巻の著書があります。
彼が1550年代に書いた『煮泉小品』は主に水について述べていますが、中で「今武林諸龍泓入品,而茶亦惟龍泓山為最 其他産茶,為南北山絶品,寶雲、香林、白雲諸茶,皆未若龍泓之清馥雋永也‥」と当然地元のお茶も絶賛しています。
屠隆 (1542-1605)著書『茶説』に龍井のことを特筆しています。
「不過十数亩。外此有茶,似皆不及。大抵天開龍泓美泉,山霊特生佳茗以副之耳。山中尽有一二家,炒法甚精,近有山僧焙者亦妙。真者天池不能及也。」
許次紓 (1549-1604)明代の文人。杭州銭塘出身。
1600年前後に明代の茶書の中で最も優れていると評価の高い『茶疏』を著しました。地元自慢をするために書いたのかと思われるほど龍井や杭州の水などを絶賛しています。天下の名山には必ず霊草を産するという一文は武夷山にも通じるところです。
高廉 著書『遵生八箋』から明代炒青緑茶が増えたことがわかります。龍井の記述も見えます。
「六安茶,品亦精,但不善妙,不能発香而味苦。茶之本性實佳。如杭之龍泓茶,眞者天池不能及也。山中僅有一二家炒法正精。近有山僧焙者亦妙。」
曹雪芹 (1715-1763)文人。
才能豊かな人物でしたが、なによりも中華文学巨編『紅楼夢』の作者として有名です。お茶に精通し、その知識は『紅楼夢』のなかでもいかんなく発揮されています。作品の中に登場する当時の名茶は多く、もちろん杭州の西湖龍井、福建の鳳随も記載されています。
袁枚 (1716-1797)杭州銭塘出身。
23才の若さで進士の称号を得て、清廉潔白な役人との評判をとりましたが、32才で官を辞し「随園」と称しました。清朝乾隆・嘉慶に独自の詩世界を展開し、時代を代表する文人となりました。著作に『子不語』『小倉山房詩文集』『随園詩話』があります。『随園食単』という料理読本を書くほどのグルメで、お茶の愛好家でもありました。故郷の龍井茶が自慢で、『随園食単』の「茶酒単」では飲むお茶飲むお茶すべてを龍井と比べて評しています。故郷に関する作品も多く、『龍井』と題した詩などもみられます。
「龍厭西湖喧,別選蔵珠宅。澄泓一井泉,揺漾半天碧。葉堕鳥銜去,魚行人不隔。時方迎六龍,崖磴加開闢。穿竇濬霊源,爬沙出奇石。瀑布九天来,散作千処白。噴珠隕雑花,洒面乱飛 雪。傾耳声洋洋,琮琤砕環璧。」
乾隆帝 (1711-1799)清朝6代皇帝。
康熙帝・雍正帝と続いた清朝の黄金時代を磐石にした皇帝です。中国歴史の中で最もお茶を特に龍井茶愛した皇帝として有名です。
「君不可一日無茶!」
程淯 清代の文人。
清末北京から杭州へ移り西湖に秋心楼を建て『龍井訪茶記』を執筆しました。1911年に完成しているみたいですがたぶん未刊となっています。
魯迅 (1881-1936)紹興出身。文学家、思想家、革命家。
「有好茶喝,会喝好茶,是一種清福」は魯迅の『喝茶』という雑文の中の言葉であす。魯迅は茶産地に生まれ、お茶を飲むことが彼の一生の楽しみだったので作品にはお茶について多く触れられています。蓋碗で緑茶を飲むのを習慣としていたというエピソードなども残しました。
「由這一極瑣屑的経験,我想,假使是一個使用筋力的工人,在喉乾欲裂的時候,那麼給他龍井芽茶、珠蘭窨片‥」
郭沫若 (1892-1978)文学者。
お茶に親しみ、外国の賓客を連れしばしば杭州を訪れました。
「虎去泉猶在,客来茶甚甘。名傳天下二,影対水成三。飽覧湖山勝,豪游意興酣。春風吹送我,嶺外又江南。『虎跑水品龍井』より」
 毛沢東  (1893-1976)湖南出身。大政治家。
中華人民共和国を建国。中華人民共和国成立後、毛沢東、周恩来、朱徳、鄧小平、江沢民ら多くの国家指導者が龍井茶区を視察しました。特筆すべきは毛沢東主席が40回以上も杭州を訪れたということです。西湖龍井を大変気に入り西湖近くに専用茶園を造らせました。国賓に対する土産も龍井茶でした。
「龍井茶、虎跑水,天下一絶」
 周恩来  (1898-1976)紹興出身。中華人民共和国初代国務院総理大臣。
中華人民共和国成立後、毛沢東、周恩来、朱徳、鄧小平、江沢民ら多くの国家指導者が龍井茶区を視察しました。なかでも周恩来は5度も梅家塢を訪れ人々とふれあいました。1972年、ニクソン大統領訪中のおり周恩来総理は杭州に招き、龍井のお茶や料理で訪中団を歓待しました。現在、梅家塢村には周恩来総理記念館が建てられています。
 老舎  (1899-1966)北京出身。作家。
特に中国の茶館文化をよく表した『茶館』は有名です。小説『趙子曰』で、「薬缶三壺分の龍井茶と十皿の五香瓜子が入る胃袋と鉄製の頑丈な鼓膜。この二つの条件を備えた本物の中国人だけが、二簧の打楽器の滋味を堪能できる」と龍井茶を中国人がよく飲むお茶の代名詞的存在として登場させています。
 巴金  (1904-  )現代の中華人民共和国を代表する人民作家。
3、40代たびたび文学界の友人たちと西湖に遊びました。作品にも『西湖』『蘇堤』などがあり、特に『从鎌倉帯回的照片』の“接連下了幾天的雨。傍晩,天空中出現了淡淡紅霞,連柔毛一様的雨絲也絶迹了。我満心希望見到明天早晨的太陽,還和朋友約好明天上午到虎跑去喝茶‥”の部分では、巴金と龍井茶の関係がよくわかります。
 汪曾祺

 (1920-1997)現代作家。
龍井に対する特別な感情を語った文章が残っています。
「祖父生活倹省,喝茶却頗考究。他是喝龍井的,泡在一個深栗色的扁子的宜興砂壷里,用一個細瓷小杯倒出来喝。他喝茶喝得很釅,‥‥我在杭州喝過一杯好茶。1947年春,我和幾個在一個中学教書的同事到杭州去玩。除了西湖景,就是在虎跑喝的一杯龍井。真正的獅峰龍井雨前新芽,毎蕾皆一旗一槍,泡在玻璃杯里,茶叶皆直立不倒,載浮載沈,茶色頗淡,但入口香濃,直透臓腑,真是好茶!只是太貴了。一杯茶,一塊大洋,比吃一頓飯還貴。獅峰茶名不虚傳,但不得虎跑水不可能有這様的味道‥」