獅
獅とは、獅子峰、胡公廟周辺、龍井村、棋盤山、上天竺に産する
龍井茶を指しました。
龍井の季節は春だけ、4度茶摘みをします。
清明節(4月5日ころ)前に摘む最初の茶葉を明前と冠します。葉がまるで蓮心のようであることから蓮心と呼び、そのような特級龍井は500g作るために少なくとも6万個の芽が必要とされると言われています。
穀雨(4月20日ころ)前に摘む茶葉は雨前茶また二春茶と言います。
立夏(5月6日ころ)前に摘む葉は三春茶と言い、この時芽に小さな葉が2枚ついていてまるで雀が舌を出しているかのようであることから雀舌と呼びます。
三春茶から一ヵ月後に摘む葉を回春茶と言い、葉は十分に成長し茎もついていることから梗片とも呼びます。
獅峰龍井は乾隆帝との深い縁があります。乾隆帝は江南が好きで、江南にある文物収集に意欲をしめし、北京の頣和園を江南風に改修したことでも知られています。その生涯に南巡を6回も行っていますが、その中で4度も杭州に訪れ、龍井茶を題材に詩を詠みました。第一首から第四首の詩の内容の変化を見ると龍井に皇帝が夢中になってゆく様子がよくわかります。
第1次南巡 『観摘茶作歌』
火前嫩, 火後老,惟有騎火品最好。西湖龍井旧擅名,適来試一観其道。
村男接踵下層椒,傾筐雀舌還鷹爪。地炉文火徐徐添,乾釜柔風旋旋炒。
慢炒細焙有次第,辛苦工夫殊不少。王粛酪奴惜不知,陸羽茶経大精討。
我雖貢茗未求佳,防微猶恐開奇巧。防微猶恐開奇巧,摘茶竭覧民艱暁。
(乾隆帝が第1回で訪れた場所は天竺でした。天竺のお茶は龍井茶と一括で呼称される以前唐の時代から貢茶として有名でした。乾隆帝は西湖龍井を賞賛し、お茶作りに従事する人たちの仕事の大変さに感心しています。歴史をふりかえり王粛がお茶を酪奴とさげすんだことを嘆き、陸羽の茶経でも大いに求められるものだと茶文化を称えました。献上茶に対しては徽宗帝のようにならないように自らを戒めています。この詩でもっとも注目すべき点は、皇帝がお茶作りにおける“火巧”の大切さを述べていることです。博識ぶりがうかがえる詩です。)
第2次南巡 『観摘茶作歌』
前日摘茶我不喜,率縁供覧官経理。今日摘茶我愛観,関民生計勤自然。
雨前値貴雨後賎,民艱触目陳鳴鑣。由来貴誠不貴偽,嗟我老幼赴時意。
敝衣糲食曾不敷,龍団鳳餅真無味。
(第2回で訪れた場所は雲栖でした。前日まわりがお膳立てした茶摘み風景を好まず、翌日実際の茶摘みを見てお茶の仕事が大変であることに理解を示し、徽宗帝の時代贅を凝らした龍団鳳餅のようなお茶を戒めています。)
第3次南巡 『坐龍井上烹茶偶成』
龍井新茶龍井泉,一家風味称烹煎。寸芽出自爛石上,時節焙成穀雨前。
何必鳳団誇御茗,聊因雀舌潤心蓮。呼之欲出辨才在,笑我依然文字禅。
(第3回目に乾隆帝は初めて龍井に訪れてお茶を飲みました。産地の水と茶葉で飲むお茶の素晴らしさを詩っています。)
第4次南巡 『再游龍井』
清蹕重聴龍井泉,明将帰轡启華旃。問山得道宜晴後,汲水烹茶正雨前。
八日景光真迅尓,向人花木似依然。斯真侍矣予無夢,天姥 希李謫仙。
(第4回目には乾隆帝は再び龍井を訪れました。このとき獅峰の胡公廟で龍井茶を賞賛し、廟の前にある18株の茶樹を御茶園として封じました。)


